たかが自転車 されど自転車…
後輪の軸が壊れちゃったんだって。
パーツの注文になるって。
そのパーツもない可能性が大きいって。
パーツ交換は高額になるから買い替えを考えませんかって。
取敢えず直す方向でお願いしてきた。
今はお預かりいただいている状態。
そうね。
ただの自転車だったら、即買い換えちゃうわよね。
たかが自転車かもしれないけど。
でも、その自転車は両親が乗っていたもの。
こちらで処分しますよって…。
自転車ごときで、まさか店内で泣きそうになると思わなかった。
通勤途中で壊れた自転車。
帰りはバスに変更。
バス停に向かうその時間、涙が止まらなかった。
そう。
私は自転車をみるたび自転車に乗るたび、両親のことを思っていた。
自転車に乗っているとき、両親がそばにいてくれているような気がしていた。
その自転車が私の目の前からなくなることがどうしても受け入れられない。
まいった…。
母の命日に思う・・・。

先週の月曜日、イタリアンを食べに行ったのよ!
んで、んで!
私としては珍しく、写真なんか撮っちゃってさ

では、では、サイズでも直して・・・

いつもは、PCにコピーしてから作業するのがさ。
その日に限って、メディアの中で処理しようとしちゃった。
「うげっ!へたくそ!

ちゅーことで、Delete!
バイバーーーーーイ!
んじゃ次!
その時、その時よ!
私の左の人さ指がShiftキーを押さえっぱなしにしていたようで・・・

次の写真をクリックする・・・。
あらぁぁぁ。
気づかずにDelete。
あれ?あれーーーーー?

ない!なじゃないさ!
写真がない!
まずっ・・・。
消したんだ。
あれだけお客様に、
「写真を消去する時には、気をつけましょう。同じ写真は二度と撮ることはできませんよ

はぁ・・・

また、失敗談として話して回るか・・・。
唯一残った写真がこれ!


5月5日。
10回目の母の命日がやってくる。
もし、母がいたら・・・。
きっと、私は一緒に住んでいることだろう。
私が一番尊敬できる人。
それが母。
母の葬儀。
私は、母の友達と話をしていた。
私 「母は、すごい人だったと思います。」
友達 「そうね。」
私 「私は、母のようになりたいです。」
友達 「無理よ。」
はぁ?
その一言でおしまいですか?
あのぉぉぉ。
ふつう無理と思っても、
「あなたはあのお母さんの娘だから、なれるわよ。」という社交辞令とか、
「がんばってね。」の励ましのお言葉とか、
「ハードル高いわよ。」それこそ、ハードルを設けられる一言とか。
もっと言い方あるんじゃないの?
お・ち・こ・み・・・


私 「GW、子供たちと一緒に実家に遊びに行くよ!」
母 「じゃあ、私外泊する!」
平成12年5月3日。
病院に迎えに行って、一緒に実家に帰った。
5月4日の午前3時過ぎ。
「息ができない・・・。」
私はその声で目が覚め・・・。
病院では、機械をつけたままにするかはずすかの選択を迫られ・・・。
母の意志とは反した結果。
父、伯叔父、伯叔母の意見で、機械をつけたままに。
母の意志はすごかった。
その翌日には天に召されていった。
忘れもしない・・・。
本当に最期の最期。
もう、意識は戻らない。
機械で生かされている状態だったのに・・・。
左手を天高く差しのべて・・・。
ストン・・・
落ちた時に母は天の人となった。
みんなは、私に隠していた。
母の先がもう長くないことを。
でも、私は知っていた。
担当の先生から話を聞いていたから。
無理でもいいさ。
私は少しでも母に近付きたいと思って生きている。
母のような大きな人間に・・・。
近付くことができるといいなぁ。
母よ。
私はあなたが大好きです。